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2016/02/29

Baby, Let Me Follow You Down

(カーリー・サイモン著『Boys in the Trees: A Memoir』第2部12章~)

ロンドンでのサイモン・シスターズ活動から帰国後、ボブ・ディランが所属するエージェントとの契約~ソロ・デビュー失敗の経緯などが描かれる。

帰国後、カーリーは長女ジョーイのアパートメントに同居する事になる。ジョーイの状況はというと、声楽家としてキャリアを躍進させて、著名指揮者のバースタイン、メータ、カラヤン、オーマンディ、ミュンシュらと仕事しており、彼らがアパートメントに立ち寄ることもあった。
次女ルーシーとカーリーのサイモン・シスターズとしてのその後に関しては、ルーシーのボーイフレンドとの結婚により、自然解散となった。
カーリーはロンドンでのウィリー・ドナルドソンとの破局を引き摺っていたが、ウィリーを介して知り合った人達、写真家マリー・エレン・マーク、コメディアンのデイヴィッド・スタインバーグらとニューヨークで交流した。

1966年のカーリーの誕生日、ボブ・ディラン(これもウィリーのマネジメント経由)から直々に電話で誘いを受け、事務所で初顔合わせし、古いブルースにディラン自身が加筆した「Baby, Let Me Follow You Down」のレコーディングを勧められる。ディランのエネルギーは急騰し、そして目は閉じられ、伝道的に両手を広げ「僕を信じて! 僕を信じて!」と、強く説得を受け彼女は契約。楽曲アレンジのリハーサルのために訪れてきたのはロビー・ロバートソンだった。

しかし、業界は男性社会だった。コロムビアでのレコーディング作業でカーリーはセクシャル・ハラスメントを受け、きっぱり拒絶する態度を取ると、二日目のレコーディングにおいては、プロデューサーが不自然なほどカーリーのヴォーカルを褒めそやすかと思えば、採択されたテイクは、試しに二度低いキーで歌った不本意なものだった。ディランがバイク事故を起こした時期で、レコーディングには、ディランのツアー・メンバーのほとんどが付いたにも関わらず。
その後、カーリーはロビー達と話し合いを持ち、この件を非難し録音トラックはお蔵入りとなった。しかも、別口でリッチー・ヘブンズのヴォーカル録りをし、デュエットとして出すつもりだったらしい。今、そのテープはカーリーの手に握られている。

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