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2014/07/19

疚しさの炙り出し

げっ、またこんな終わり方…。どう解釈すればいいんだろう。ハネケ作品は悩ましい。
『ピアニスト』『愛、アムール』『ファニー・ゲーム』『白いリボン』に続き、鑑賞したのは2005年作『隠された記憶』。

ストーリー概要は省略し、以下ラストカットに触れた自分の解釈をメモしてみます。ネタバレになりますが、鑑賞していない人でも支障ないんじゃないかな。鑑賞しても解らないままだから。ネットのレビューも幾つか参考にしましたが、全く同じ解釈を持つ人は見当たりませんでした。

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・これは『ファニー・ゲーム』と『白いリボン』の中間をとった表現方法に近い印象を受けた。
主人公夫婦(ダニエル・オートゥイユとジュリエット・ビノシュが演じる)に盗撮ビデオを送り付けたのは誰か? ハネケ監督でしょう。『ファニー・ゲーム』と同様のメタ手法で、監督がこのフィクションに登場する夫婦を刺激するためなのだ。この動機により、夫の過去、偏見主義が露呈していく。
夫婦は定点カメラの盗撮にも関わらず、カメラ据え置きの場所を特定して没収するシーンが無い。それは、リアルの監督との暗黙の了解があるからである。

・その露呈のプロセスは規定のドラマ演出にのっとったものではないようなのだ。これがクセモノ。テーマ構造に必要なキャストを配し、即物的に動かしているだけのようである。
たとえば序盤、夫婦がビデオテープ脅迫を警察に相談した帰り、自転車に乗った黒人男性とぶつかりそうになり、夫と口論になるシーンは夫の内部の一端を行動性に表わしたヒントであり、伏線にはなっていない。

・夫の偏見主義を行動性の積み重ねから証明したのが、見せ場となるアルジェリア人父子との確執である。夫はビデオテープのいやがらせは、自分が幼少時に嫌った同い年の使用人の子供だったアルジェリア人からの脅迫とみて、彼を見つけ出し追及する。が、先述のとおり、監督による仕業なので、このアルジェリア人父子の言う通り、彼らはやっていないのだ。つまり、この作品には犯罪性が皆無だったのだ。
ゆえに、アルジェリア父子は、夫妻の息子ピエロを誘拐もしていない。

・ラストカットに飛躍してみよう。学校の校門前で知己のように落ち合う夫婦の息子ピエロとアルジェリア人の息子。彼らを見つめる定点カメラの存在により、彼らが結託していない事を同時に証明している(前半、夫が車で迎えにやってきた際は、夫の視点からカメラは可動していた)。けれどもほとんどの観客は、アルジェリア人の息子が、ピエロをそそのかして犯罪に加担させたのでは?という疑念を瞬間に持つことだろう。

・意図的に挿入された紛らわしいエピソードは妻の浮気の可能性だ。彼女が同じ職場の友人に泣きすがるシーンは、あたかもアルジェリア人父子にとって格好のゆすりネタになったかのように見えるが、目撃者はピエロの同級生か、同級生の親たちだった可能性も考えられるはずである。

・夫妻の家族の関係性、特に親子関係については図式的に捉えて観た。息子ピエロが母と父によって態度が異なるのは、"疚(やま)しさ"を対比的に表現したものである。母の浮気による疚しさは安易に疑っても、父の偏見主義は、未だ見抜いていないような素振りである。それは同時に、一貫してアルジェリア人息子とピエロの間には、父の偏見主義に関する情報共有の接点が無いことも証明している。

・夫の勤務するテレビ局に押しかけてきたアルジェリア人の息子の言葉が総て真実である(しかし、職場内に再度踏み込ませるなど、いっけん暴力的に見える演出が巧妙になされている)。
夫は、ここでも異人種への威嚇行動をさらけ出した。アルジェリア人の息子は応酬はしていなかった。

アルジェリア人息子とピエロは互いの因縁を知らないまま、後世代の人種の壁を越えたコミュニケーションを日常的にとっていた。

監督がビデオテープの悪戯をするから、こんな悲劇が起きたのでは? いいえ、監督はきっと「私は、フランス人夫婦にささやかな届け物をしただけだよ」というはず。私の偏見まで炙り出しておきながら。

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